羽田健太郎 命日(13回忌)
羽田健太郎 最後の別れ
今日6月2日は羽田健太郎さんの命日です。たぶん13回忌になります。肝細胞癌で亡くなった作曲家・ピアニストの羽田さん、享年58歳でした。
小出郷文化会館のコンセプトのひとつに「子どもたちの感性を磨く教育の場」があります。この事業をどうするか悩んでいた時に出会った羽田健太郎さんの一冊「ハネケンの音楽は愉快だ」でした。
羽田健太郎さんの夢…コンサートホールに小学生を招いてフルオーケストラを使ってクラシックの魅力をわかりやすく解説し、子どもたちに音楽の楽しさを伝えて好きになってもらおうというコンサートを自分のライフワークとしてやりたいと書かれていました。
私たちの思いと合致しており、早速電話をします。すると二人のマネージャーが槌音の響く会館まで駆けつけてたのが平成8年2月29日でした。
「こんなに雪深い地域で、しかもまだオープン前にハネケンの夢を実現できる企画を提案いただきありがたい。実はまだ全国のどこでも実現していないんですよ。本当にやってくれますか?」「やりましょう」こんなことから羽田さんとの夢のような企画がスタートしたのでした。
平成9年2月25日、銀世界の魚沼で念願の第一回ヤングピープルコンサート「オーケストラって何に?」が始まります。
客席には魚沼市内の小学五年生が六百人。羽田さんは開口一番「肩の力を抜いて生の音楽の雰囲気を楽しんで」と声をかけ、新星ポップスオーケストラによるアンダーソン作曲のサンダーバードのテーマを指揮します。
子どもたちに各楽器の特徴や音色を冗談を交えながら解説、途中には羽田さんの呼びかけにより、子どもたちが行進曲のタクトを振るなど大歓声に包まれました。
羽田さんはコンサートに来てくれた子どもを見て「子どもたちが目を皿のようにして、耳をダンボのようにして聴いてくれた」と感激しています。子どもたちは数日後、コンサートでの感動を絵と文字にして羽田さんに届けてくれました。羽田さんと私たちの夢が叶いました。
羽田さんはピアニストとしてクラシックからジャズ、映画音楽など幅広い作曲、編曲、演奏そして指揮者、司会など音楽マルチ人間ですが、もう一方では子どもたちにに音楽の楽しさを教える音楽伝道師でありました。このようなコンサートは全国どこのホールでもありますが、おそらくヤングピープルコンサートが日本の先駆けでした。
新ハネケンは愉快だではヤングピープルコンサートが紹介されています。
平成19年6月4日、羽田健太郎さんの訃報をテレビで知ります。唖然として食卓を離れてます。「信じられない、いつも笑顔でダジャレを放ち魚沼の子どもたちのために音楽の楽しさを教えてくれた素晴らしい人なのに、なんてことだ」次から次へ関係者から私に悲しみの声が寄せられました。
6月7日、マネージャーから告別式(港区・麻布山善福寺)に招かれ、前列から6列目に座ります。祭壇には羽田さんがピアノを前に笑顔の遺影、法要が始まります。歌手の谷村新司さん、作曲家の千住明さん、日本作編曲家協会の服部克久さんが素敵な弔辞を読み上げました。
谷村新司さんは弔辞で「ピアノを弾いているハネケンの姿が大好きでした。神様のような指先がたくさんの人を幸せにしていた。昨日の通夜で、別れを惜しんでいる人を見た時、胸が詰まった。あなたのダジャレが聴きたい。ドラえもんのような指先が懐かしい。ピアノの音には命があった。あなたと過ごした時間に感謝しています。ハネケン、いってらっしゃい」と旅立つ友を見送りました。羽田さん直筆の譜面や大好きだったという「ラプソディー・イン・ブルー」の譜面が棺に収められます。羽田さんとの思い出が走馬灯のように涙とともに駆け巡りました。
告別式が終わり涙雨が降ってきた。羽田さん愛用のピアノで佐藤允彦さんらの「聖者の行進」演奏に合わせ、参列者の手拍子によって出棺が行なわれました。いつのまにかあめは上がり、羽田健太郎さんのラストステージが終わりました。合掌…
羽田健太郎さんの特別追悼番組で小出郷文化会館で開催したヤングピープルコンサートが紹介されました。⬇️
https://youtu.be/7GqwUSL3QKc
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