災い転じて福となす 〜響きの森公園秘話〜
小出郷文化会館はスタートから、こけら落としがこけるような大失態、晴天の霹靂が起きます。
四半世紀期前の平成8年6月9日を小出郷文化会館のオープンと決め、開館記念式典と並びにこけら落としの準備を進めていました。
ところが大変なボタンの掛け違いが発覚します。小出郷文化会館の地主は新潟県、つまり、県のお力を得て会館建設が進んでいました。
新潟県は密かに会館オープンと響きの森公園のオープンを平成8年8月8日の末広がりの8並びのおめでたい日を計画していたのです。
新潟県と日程調整をしないまま、平成8年6月9日に会館こけら落としと新聞記事に掲載されます。これが一大事となり新潟県を怒らせてしまいます。
当時の小出郷広域事務組合代表理事登阪小出町長と担当職員は早速、新潟県の出先、奥只見レクレーション都市公園響きの森公園の整備課長にお詫びに伺います。
開口一番に担当係長からひどく叱られます。前もって相談もなく、なぜ?こけら落とし日程を決めたのか!登阪代表理事は深々頭を下げてお詫びしますが怒りは収まらなかったようです。
平成7年11月1日に館長に就任したばかりになんて事だ…大町教授から第九指揮の承諾を貰って合唱指導会も上々だっただけに、悔やまれます。
私はイベントを共にしてきた仲間に相談を持ちかけます。こけら落としの準備が進む中、お詫びとして県公園オープンお祝い事業を検討します。
アイディアは魚沼文化祭〜上々颱風(シャンシャンタイフーン)公園開園コンサートの企画です。頼りは講談師の宝井琴柳さんです。
琴柳さんは昭和の終わり頃から小出の緑川酒蔵寄席や浦町での小出寄席公演を切っ掛けに交流が深まり、毎年寄席に訪れるようになっています。
その琴柳さんは、上々颱風の八十日間亜州一周アルバム、講釈「歌」でコラボレーションするなど面識があり、上々颱風を紹介していただきます。
企画書を持って、世田谷にある上々颱風のマネジメント会社、ゆうげい社にて契約交渉が纏まり、県へのお詫び公園コンサートの件が実現を見ます。
何度も県に足を運び、ようやく割烹で課長さんにお願いする機会が叶います。公園オープンの8月8日に開園コンサート開催する熱い思いを伝えます。
課長さんは「これは小出郷文化会館を思う県民の声だから」と予定通り会館こけら落とし日を承諾していただき、九死に一生を得ます。
担当職員は胸を撫で下ろし、首も繋がり、公園オープン合わせて子どもゆきんこサミットを翌日に開催しました。なんとも心が凍るような出来事でした。
紆余曲折しながらも6月9日の会館オープン記念式典とこけら落としが成功裡に終わり、8月8日の公園開園記念魚沼文化祭上々颱風コンサートも好天恵まれ賑わいました。
これを契機に新潟県から公園計画のワークショプの依頼を受けます。
奥只見レクレーション都市公園小出地域の名称を検討しアンケートの結果、「響きの森公園」と命名しています。
また、公園中央の円形雪のコロシアムは世界で唯一の国際雪合戦大会の競技場になります。空から公園を展望すると音符のトーン記号になっています。
それから、響きの森公園にちなんだ音のイメージや音の出る遊具の提案に発展します。会館の玄関口は春の小川の音符を奏でています。
音をコンセプトとした遊具の一つに円を描く壁の隙間にたくさんのチャイムがぶら下がっていて指を差し込んで歩くとメロディーが響きます。
メロディはこの地域の冬の鳥追行事の歌が流れます。♪ 鳥追いだ、鳥追いだ、だんなショの鳥追いだどごからどごまで追っていった…
県に譜面を起こしてお願いしています。絶対絶滅から思わね好転…災い転じて福となす…響きの森公園のオープン秘話でした。
付録 音の出る遊具
野外コンサート・イベントポスター
0コメント