住民による文化を育む会

小出郷文化むら(仮称)〜地域で議論し、地域で育む文化〜 住民による文化を育む会世話人

地域住民の熱意と行政が一体となってまとめあげた文化むら構想。優れた芸術文化との出会いや様々な交流、ふれあいの場として、地域に愛される施設をめざす。

〜忌憚のない意見を!とはいうものの…〜

平成五年二月二日、小出町を対象とした文化会館懇話会が開かれた。二、三年前から話題にのぼるようになり、昨年の十一月から十二月にかけて数回行われた町長と語る会等で「多勢の皆さんの声を聞きながらやっていきたい」と町長が語っていただけに参加者は大きな期待をもって臨んだ。

特にまちづくり研究会を中心とする若い層は、多勢の人の声を聞くということは、即ち会館の内容を検討する決定機関、或いは諮問機関またはそれに類する組織を作るのだろう、と考えていた。

単なる箱ものならいざ知らず、文化会館のように作ってからの活動…一般の人の利用が勝負、というようなものはなお更。
会が始まった。構成メンバーは議員、教育委員、公民館、社会教育、体協、PTA、商工会、農協、ライオンズクラブの代表、それと音楽会を主催している学校の先生や音楽サークルの人、演劇を主催している人や鑑賞団体の人、民謡の先生、日本舞踊の先生、まちづくり研究会、青年団、婦人学級、美術関係の人など町中を網羅した形である。

役場の総務課長も町長も「皆さんの忌憚のない意見を」と言う……忌憚のない意見か…、何から話せばいいかなぁ…などと考えていると、説明の中で町長が大ホールは1200人収容、小ホールは400人収容と小出郷広域事務組合の理事会(町村長の間)で合意した。決定していると言う。なんてこった。オラが何百時間も検討してたのはどうなるんだ。

説明の後、話し合いに入った。……忌憚のない意見たってなぁ……誰かが手を上げて話し始める。
「ホールの収容人数は変えられないか」「音楽をするのでいい音響のホールを」「本格的な演劇ホールを」「美術関係の展覧会等も考えてほしい」「踊りやお芝居にも対応できるように」等々…

各種団体の代表がその立場での発言をするのみ。町長もこれから皆さんの意見を聞きながら建設を進めていきたいと言うだけ。
脈絡のない、発展性のない、かみ合わない話しが続いた。「どういう方法で意見を吸い上げ、どういう手順で、誰が方針をまとめて設計者にこういう会館を設計してくださいと言うのか」町長は明確に説明しなかった。

よく知っている町長だし、明言したくないということはまだ決めていないんだなと思い、再質問はしなかった。
広く大きい課題に対し、こういう多数のメンバーで、単に忌憚のない話しを、という聞き方をしたらどういう反応があるかは当然ながら予測もできた。役場は本質的なことや具体的なこと、重要な問題に対して意見など聞こうとは思ってはいないのだ。

〜町との絶縁を覚悟で、思いをブツケる!〜

六日後の2月7日、今度は郡全体の懇話会が開かれた。日曜日の昼一時、今回は各町村の町村長も出席するので多少いい会になるのかなと淡い期待を抱きつつ参加したが、見事に裏切られた。否むしろ前回より腹が立ってきたし心配にもなった。
我慢と諦めと怒り…二時間余りの会は終わった。資料をカバンにしまいながら三年間のまち研の活動を思い出していた。

毎月の例会に集まってくれた多勢の仲間達。真剣に文化会館を語り、この地域の文化振興を語るあの顔この顔。目に涙が浮かんできた。自分の貴重な何百時間が全く無駄になる。それは仕方ないと諦めても、大勢の仲間の若い時代。かけがえのない何百時間を返せ!頭の奥の方で謂ゆるプッツン!という大きな音がした。

玄関で四人と一緒になった。地物ミュージシャンの桜○君も切れたという。江戸っ子の坂○君は「ブッツン」だったという。あのおとなしい岩○君も。お茶の先生の○之内○美子さんなどは、「ここはいっちょう尻をまくらんばダメですわねえ」と息をまく。そこでその夜、ウチに集まることになった。

酒一升五合とビール十本は正月の残り。生ずし特上六人前(○之内さんが二人前たべた)は少々散財だったがいたしかたない。ワァワァと役場の担当目掛けて攻撃する文書を書いた。いわば絶縁状である。
じかに役場に持っていくのが怖くて、牛乳配達の桑原君をつかまえて、「来月も牛乳をたのむから」と言って役場に絶縁状を持っていってもらった。その日の十一時頃、役場から電話がきて、九日の夜役場に来てくれと言う。

教務室に呼ばれた悪ガキの気分を久しぶりに楽しみながら役場の委員会室に入った。どのみち覚悟はできてる。町を追い出されたら皆んなで旅の一座でも組んで諸国を巡業するか、頭を丸めて仏門にでも入ろう、などと腹はくくっていた。

ところが、小出町役場の○大さんと小○さんは、(オラもおまい方と同じことを考えてらんだいや。絶縁状をもらってオラもふっきれた。おらが上手段取りするんなんが、おまえ方が中心になって、ひとつ頑張って見てくれや。」とのこと。これで文化会館は貰った!と一同大喜び。小出名物ホルモン焼きの「やまに」にて、早速、発会の準備会の下話しをし、絶対に文化会館を成功させるぞ、という熱い思いを確認しあったのだった。 

思えば思えば、あの一週間こそ文化会館建設への偉大な第一歩だった。(などと言うのはいかにも大袈裟。ほんの少しでも役に立てたらと思い、できる限りのことをしてるというのが本当のところです。)そんな目まぐるしい一週間だったが本番はこれからだった。

〜「住民による文化を育む会」発足から現在まで〜

2月1日 会が発足。名称は「住民による文化を育む会」と決まった。民間有志の会で運営費は参加者のカンパによる。
2月16日 第二回。
二十三名が参加してくれた。県に出す基本構想作成の期限が三月いっぱいのため、会議週一回と準備会週一回というハイペースの開催と決まる。

2月23日夜七時より第三回目
会館の機能や利用の仕方について、参加者約三十名が三テーブルにわかれ、討論した。 
3月2日 第四回。
前回に引き続き機能や利用についての話し合い。今までは音楽畑の人は音楽用のホールを要望し、演劇畑の人は演劇ホールこそ是非必要とゆずらないかったが、この頃から「北魚沼にとってベストな会館とはどんな会館か?」という視点に立った発言が目立つようになった。

謂ゆる「文化」に接する機会が多いとは言えない北魚沼。酒飲むか、TV見てゴロゴロしている自分自身を含めた大多数の人に気軽に「文化」に接してもらうための文化会館がこの地に最もふさわしく、今必要である。そんなふうに議論のレベルが一段高くなっていった。参加者同志、気心がわかり合ってきたせいか、話しの内容も随分前向きになってきていると感じた。参加者の皆さんの熱心さに本当に頭が下がる。
3月9日 第五回
大ホール、中ホール以外の機能について検討。ロビー、サロン、喫茶コーナー、練習室、託児室等々について話し合われた。毎回三十名位の参加があるが、初めて参加する人も何人もいる。初めて来た人は先ずこう質問する。「この会で話し合われた事は本当に取り入れられるのですか?内容は本当は決まっているんじゃないですか?」というもの。

その度に「いい案を作れば必ず汲み取ってもらえる。他に会館について話し合っている団体はない。役場の担当者も毎回来てくれている。少しでもいい会館になるよう皆んなで知恵を出し合いましょう。」と説明し理解してもらうようにしてる。特別に年配の方や議員の人がそう言って心配してくれる。

3月11日 次回の打ち合わせ。
我ながら毎週よくやっていると感心する。一週間がやけに短い。やっぱり人間というものは、むやみに腹を立ててはいけない。今までは行政に言うだけだったが、立場変ってそっくり自分達に返ってきた。なんか役場に勤めているような気さえする。 

案内通知を出したり、毎回レジュメや資料を作ったり、またそのための打ち合わせをして、当日は早めに行って会場の設営。会では自分の意見はおさえて、ひたすら進行役まとめ役。時には町村長に代わって答弁などしてる。これが仕事でなくて良かった。一週間がアッと言う間にすぎる。多少難儀だが充実している。(本当いうと面白いのだ)

3月16日 第六回
明日十七日に広域事務組合に出向き、担当課長・担当者会議に於いて今までの経過を報告をすることになり、そのためのまとめをする。
テーマは「四季の音と出会いの場」で①芸術文化の活動拠点になるようにする。②さまざまな交流・発表の場とする。③いきいきとした子供の感性を磨く場とする④美しい四季や自然を生かし、音を楽しめる場とする。等を確認し、発表する内容のチェックをして明日に備える。

3月17日 担当課長・担当者会議
広域事務組合に於いて、担当課長・担当者会議が開催された。「住民による文化を育む会」が初めて公けの場に出た。担当者も私達の活動を知っており、評価してくれていたことがわかり嬉しかった。
3月23日 第七回
メンバーにより提案されたドミトリー案を中心に討議。この頃になると自分の所属団体を代表しての発言が少なくなり、町村長になったような責任ある発言が多くなってきた。

4月13日 第九回
四月からは隔週で開催することになる。大分余裕あるペースになる。今回は会館の設計者と奥レク公園の担当業者に来てもらい話し合う場を持った。さすがに設計者が来るということで参加者も増え三十七名であった。段々形が見えてきて、今までの苦労が無駄ではなかったと実感。参加者も一様に安心したようだ。いつもより皆んなの目が輝いていたように感じた。
4月16日 小出町懇話会
町主催の文化会館懇話会が開かれた。先に決定された基本構想のお披露目。「住民による文化を育む会」の内容は諮問機関のようなものだが、表向きはあくまで民間有志の会。いい子になって座って説明を聞いていたが、少々、八百長くさい。まあ初めてのケースだから仕方がないか。
4月27日 第十回
大和町の「さわらび」を視察。大和町の公民館の高野さんより詳しい説明をしてもらった。ステージ・照明・音響・練習室等、実際に見ての勉強。運営面のお話も伺ったが、担当職員の質によって大分雰囲気も、利用も違ってくるのだろうなあと感じた。献身的ともいえる高野さんの仕事内容をお聞きし、縁の下が大切なんだなとつくづく思った。
5月11日 第十一回。
図面をもとに施設・設備の内容について検討。

5月25日 第十二回。
前回に引き続き施設・設備についての検討。前回に出た意見を再度まな板にのせ、会としての意見とすべきかどうか等吟味しながらまとめの段階に入った。これらの要望を設計者に渡し、建物についての私達の仕事は一段落となる。

考えていたよりずっと順調にやってこれた気がする。「住民による文化を育む会」を作ろうと思ったのはまち研で論議を積み重ねていたおかげ。発足できたのは、役場の担当者と「しねり弁天たたき地蔵まつり」や「小出町国際雪合戦」などでつきあいがあり、尻まくってもきっと応えてくれる、という信頼関係があったればこそ。
会がスムーズに運営ができたのは、何よりも毎回集まってくれる熱心な人達に恵まれたおかげ。また、行政も「住民による文化を育む会」をよく認めてくれたと思う。初めての試みで結構勇気もいったのではなかろうか。最新の情報を提供し、会の要望もよく吸い上げてくれた。町長も会に出向き話し合に加わってくれたこともある。これら行政の対応が大いに励みになったことは言うまでもない。

さて、これからは運営面の検討に入る。世界一の会館や日本一の会館はいらない。ふるさと北魚にとってベストな会館を目ざし、これからも頑張らねば。

完成は平成八年の三月。それまでの永い期間、今までよりリラックスして、楽しみながらやっていこうかな。
おわり

コーポA&O (桜井俊幸.A&O企画)

【桜井俊幸】 魚沼市生まれ。魚沼市小出郷文化会館を18年は5ヵ月務め名誉館長。後に(公社)全国公立文化施設協会(参与)と文化芸術による復興推進コンソーシアム(東京事務所長)。全国国民文化祭総合コーデネイターなどを歴任。 【コーポA&O】 魚沼市内に5棟や駐車場を経営している。 【あんさ&おっさ】 昭和56年、桜井俊幸、治兄弟で結成したオリジナルフォークデュオです。今年8月44年目を迎える。

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