春泥 小出郷文化会館緞帳秘話
〜緞帳原画の大どんでん返し〜
平成7年9月15日、秋晴れの中、東京藝術大学上野キャンパスで藝大祭りが開催され、名物の藝大神輿行列が賑々しく、おしあいへしあいうねっていました。
そこを横目に、小出郷文化会館の大ホールの緞帳の原画を依頼してる堀越保二教授(日本画家)の風情ある美術学部アトリエに向かいます。
私は緞帳制作担当職員と会館建設業者、緞帳制作業者、会館関係者など十数名で、待ちに待った原画を受け取りにドキドキワクワクしながら伺います。
堀越教授が制作した原画に全員が注目します。教授はこれが原画ですと制作途中の作品を提示しますが、あれぇ〜全員が唖然とした顔をして越後三山の原画スケッチに見入ります。
実は制作依頼当時には魚沼(入広瀬村)の伝統のマタギの様子(クマなどの大型獣を捕獲する技術と組織をもち、狩猟を生業としてきた人をいう)を原画にしたいと堀越教授はマタギ行事に参加して熊取を体験をしていたのです。
BSN新潟放送ニュースでもマタギの様子が放映されていただけに…熊取がいつのまにか越後三山に化けてしまったのか?大どんでん返しとはこのことを言うのだな…皆さんが絶句しながらもニンマリ。
堀越画伯は真顔で得意なポーズ、親指と人差し指をVの字にして顎にあてがいながら、魚沼地域(文化の芽生え)を象徴する風景は越後三山ですね、会館の緞帳に一番ふさわしいと考えていたと言います。
まだ原画は完成しておらずスケッチしたものでしたが、越後三山の春と魚野川にそそぐ水無し川が描かれおり、私は小出郷の文化が芽吹く魚沼の春は熊取り原画より緞帳にふさわしいと内心思いました。
堀越画伯曰く、緞帳の話が出てから町村長に会う機会があり、文化財になるような緞帳にしたいと語っています。何を描こうかと伺うと、皆さんがはっきりおっしゃらなかたのですが、越後三山というお顔をしていらっしゃったので描き始めることにしました。またもや顔を見合わせてニンマリ。
私はこの日はもう一つ目的がありました。小出青年会議所を代表して金沢(9月1日)においてこけら落としの第九の指揮を依頼した大町陽一郎教授に正式に指揮者の契約をするためです。
大町教授は藝大祭りにおられると堀越教授から情報を得て、取り付いて貰います。大町教授から快く指揮を承諾をいただいたのち、夢のような話があります。
実はベルリンフィル(大町教授はベルリンフィルの日本初の指揮者)で4年間使用した名器ベヒシュタインを購入しないかと耳を疑う提案があります。
ユーロピアノ(現在は株式会社ベヒシュタイン・ジャパン)経由で小出郷文化会館が購入することになり、ルドルフ・マイスターのピアノ音楽合宿にも発展しています。緞帳がヨーロッパと繋いでくれた記念すべき日になりました。
話は戻ります。完成した原画の命題は「春泥」です。うあああー、淡紅色の朝焼け…越後三山の雪解けが始まる初春…越後三山(八海山・中ノ岳・駒ヶ岳)が淡く美しく描かれています。
水無し川から魚野川にそそぎ込む川面は雪解けから「ささ濁り」になっています。なんと雅で優雅な構図、小出郷文化会館の緞帳に相応しいと関係者は絶賛しました。
堀越教授はご機嫌で上野公園にある料亭で一献することになります。大分酔いがまわったらしく上野駅までお送りすると、千葉の自宅に泊まって欲しいと強請られ、急遽泊まることになります。
堀越邸は小高い所に平屋建の佇まいがありました。建物にはオンドルが施され床暖房になっていたり、小鳥や動物を沢山飼っていたりと自然と共存生活する日本画家なんだなぁ〜とあらためて感心しきりです。
ところが、布団を敷いて貰って横になって天井を見上げると、なんと10㌢もある蜘蛛(アシダカクモ)が私を眺めています…びっくりして堀越教授に告げると、そいつも我が家の一員で一緒に暮らしていると言います。ヒェ〜よく見るとあちこちに何匹も飼っていました。
天才画家のライフスタイルにはたびたび驚かされます。明日は長岡で青年会議所の大会があることから寝ようとするも大きな蜘蛛が気になって、眠れない忘れられない夜になりました。
〜緞帳仕上がり視察、滋賀県の龍村美術織物へ〜
緞帳制作を滋賀県守山市にある織物会社(株)龍村美術織物に決定します。翌年の平成8年2月16日、担当職員や住民による文化を育む会などの有志で緞帳視察研修に伺います。
御一行は龍村美術織物に到着、さっそく緞帳制作工程資料にそって緞帳の説明を受けます。
緞帳はホールの顔であり、その町の風土、歴史、文化等あますところなく写しだす織の鏡であり、そこには夢幻の世界と現実の世界と合体し、精神的昴揚、鑑賞の歓びの世界に包まれ変貌するようです。
緞帳の仕立て上がりはW18.5m✖️H11mで表地は綴錦織で継ぎ目無しの一枚織り、色数は342色(基本色62色)、総重量は814kgです。
緞帳は、分割して織って縫い合わせるのではなく、完成サイズのまま一枚で織り上げていました。一体どんな風に作っているのでしょうか?
制作現場を拝見すると…、大きな建物のなかに巨大な緞帳がいくつも広げられています。織っている最中のもの、織り上がって糸の始末をしているもの。機械を使わない手作業なのでとても静かです。
緞帳は綴織(つづれおり)という手法で織られて、とても複雑に見えるかもしれませんが、織り方で言えば一番シンプルな平織りにあたります。
平織りはたて(経)糸とよこ(緯)糸を1本ずつ交差させて織る方法で、緞帳の表面に見えている糸はすべてよこ糸。レーヨンなどの素材の糸を染めて6本を撚(よ)リ合わせて1本の太い糸にし、下絵どおりに織り込んで、柄を表現しています。
たて糸は綿などの糸を用いていて、よこ糸よりかなり細く、強く張ってあるため織り上がった後は布の表には出てこないとのこと。
糸の始末の関係で、綴織は裏向きにして織っていきます。製織期間は図案にもよりますが、平均で2〜3ヵ月。
織る前には原寸大の下絵を作ったり、糸を染めたりする作業があり、織った後は糸の始末などをしますから、全工程でいうとデザイン画ができてからだいたい半年くらいかかりると言います。
色は100〜300色くらい使うんですが、私たちは糸を染める工程も外注せずに自社で行っています。思い通りの色が出ていなかったら、染める人と顔を付き合わせて納得いくまでやり直します。
これを妥協して在庫の糸で済ませていては、色の調和が微妙に崩れ、精度の低い出来になってしまいますと丁寧で精度の高い作業をしてると感銘しました。
〜緞帳もこけらを落とした〜
〜こけら落としで堀越画伯は緞帳のいくつかの質問に答えています〜
Q:いつから描き始めましたか。
A:以前から小出郷には来ていて、越後三山のスケッチは沢山描いていました。緞帳の話しが出てから、町村長さんと会う機会があり、何を描こうか、ということになったのですが、皆さんははっきりおっしゃらず、「やっぱりー」というお顔。私も「やっぱりー」て思っておりましたので描き始めることにしました。
Q:どこから見た越後三山ですか。
A:大和町のスポーツコム浦佐スキー場の辺りからです。
Q:なぜこの季節を描いたのですか。
A:緑が芽吹く山菜の時期も好きなんですが、この絵の頃は川がいい色をしてるんです。冷たくなく魅力ある色をしています。それに、この頃から地元の皆さんが嬉しそうな顔をなさっているんです。そんな気分をモノトーンに近い色で…
Q:この空の色は、実際に見た色ですか。
A:越後三山は今までに100回以上見ていますが、この「とき色(淡紅色)に出会ったのは3〜4回です。朝か夕方ですぐに変わってしまいます。30分から1時間がやっとでしょう。
Q:建物がないのは、どうしてですか。描くのが面倒くさかったからですか。
A:そうです。(笑)でもない方がいいでしょ。
Q:最後に、この緞帳に込めた思いを。
A:普通のものが、かけがえのない物に変わるときがある。急にきらめきを感じるようになることがある。無理をしないで、ごく普通の姿を普通に描くことに心掛けました。館長には「じゃまになったらいつでも切ってと言ってあります。緞帳はいつもさりげなく。主役は舞台ですから…
〜ゆきについて〜
堀越保二 東京藝術大学日本画第一講座教授
今年も暮れが近づき、魚沼も雪になるのでしょう。ふきやかたっこ、多くの山菜たちも厚いふとんの中にもぐって春まで休眠。クマもよいねぐらが見つかったかしら。
文化会館の緞帳、何故名前を入れなかったのということをよく言われます。原画制作担当としては、一番迷ったことです。制作の責任の所在をはっきりしとかないと不味いなとか、舞台やホールを利用する人達には目ざわりだろうなとか、考えました。
すじ違いのたとえかも知れませんが雪の字には汚名を雪(すすぐ)という使い方もあるようです。結局すべての目ざわりなものを雪(すす)いでくれる雪に助けてもらうことにして、雪に埋めたつもりです。でも浅知恵だったようだ。春泥の時にはばれちゃいますね。
魚沼市小出郷文化会館の館長時代(18年5ヵ月)500回を越える視察がありましたが、緞帳のお話しと鑑賞は好評でした。皆さんは織物ではなく、日本画と勘違いする方が沢山おられました。
おわり
付録:幻になった熊取りの日本画
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