震災フェニックス〜震災から立ち上がる文化の祭典

平成20年1月新潟県文化振興課から文化芸術を活用した復興の祭典を開催したいので企画運営に関わってもらいたいと相談を受けます。

文化からの復興については…個人的(あんさ&おっさ )には被災地慰問コンサート(旧川口町.旧堀之内新道島.旧守門村等)を展開しています。

制作では、中越大震災応援歌のCD制作や妙見堰の土砂崩れから奇跡的に生還した皆川勇太君の応援歌CD「ゆうた」を制作しています。
また、小出郷文化会館(当時館長)では中越大震災復興祈念プログラム(アウトリーチ)や復興イベントとして魚沼市誕生記念復興祈念祭(アドバイザー)、野外イベント「魚沼復興音楽祭」を開催しています。
それから、NPO魚沼交流ネットワーク(当時理事長)でも心のふるさとふれあいコンサートや結の灯り「8万8千の雪灯り」、野外での震災メモリアルライブ等も展開していました。
県文化振興課長のお話しを窺うと、中越大震災で被災した地域への文化イベントの開催と新潟から全国への復興を発信する事業とし、新潟県復興基金3億円を活用するといった壮大な計画案です。

芸術文化の力で被災者の心の復興を推進する計画に賛同して協力します。芸術文化の神様が授けてくれたことと感謝して、躊躇なく引き受けます。

しかしながら、小出郷文化会館事業、NPO魚沼交流ネットワーク事業、さらに新たなうおぬま芸術文化創造プロジェクト事業(代表)があり、自分で自分の首を絞める結果になっていきます。
平成16年度からは、魚沼市合併の準備や中越大震災の復興支援など仕事は休めない状況になり、1年に5,000時間を越える勤務でした。

震災以来4年間は1日たりとも休めなくなっていて、震災フェニックスを引き受けると更に1,000時間は増える覚悟で臨まなくてはなりません。

さて、もとに戻します。新潟県からは、20年度にプレイベント、21年度には本番事業を実施することになり、コーディネーター兼チーフデレクターに就任します。
早速、明確な目的と事業計画に着手します。まず初めに、震災フェニックスのミッション(目的・使命」を明確にします。

中越大震災から5年目にあたる平成21年度に大規模な文化イベント「震災フェニックス〜震災から立ち上がる文化の祭典〜」を開催します。

ミッションは被災者を励まし復興への意欲を高揚させるとともに、全国からの支援に対する感謝の気持ちを表し、被災地の復興に向けた着実な進展を広く県内外にアピールするとともに、交流人口の拡大を図る。とします。

コンセプト(目的・使命)は①全国、そして世界へありがとうの感謝の心を発信する。②芸術文化の力で心のケアと励ましを行う。
③被災した子どもたちに勇気と希望を与える。③中越大震災からの着実な復興を県内外にアピールする。⑤中越大震災の復興に寄与し将来に繋がる事業とする。

このように定め、キャチコピーを「感謝を心から心へ」とします。

震災により人々はきずつき、絶望していたとき、差し伸べられた多くの手に支えられ、励まされ、歩きだす力をいただきました。…

…寄せられた温かい支援に対して感謝の気持ちを全国へ、世界へ、発信するのが震災フェニックスの活動です…

…これから1年間にわたって事業を展開し、感謝の心を人からひとへ、そして未来を担う子どもたちへ永遠に繋いでいきます。
次に、この事業から期待することについても的確にします。この事業は、芸術文化からの復興を増進させ、新たな事業効果を期待することにします。

①芸術文化からの地域ネットワーク→地域を越えた復興と地域からの復興を図ります。②芸術文化のヒューマンネットワーク→芸術文化で人を繋ぎます。…

…③芸術文化からの育成プログラム→芸術文化活動に参加を促し、芸術文化活動により、地域を創造する担い手を育成します。④芸術文化で全国・世界との交流→芸術文化で交流人口の拡大を図ります。これらを期待する目標としました。
次は実行運営体制づくりです。平成20年2月29日、県文化振興課において設立に向けて、組織づくりを検討します。課長さんと担当者の全面協力を得て実行に移します。

体制は実行委員会体制とし、中越地区の文化施設やNPO法人、芸術文化団体、商工会議所、観光協会などオール中越体制とし、新潟県文化振興財団からは新潟県代表団体として参加を得て、約20団体からなる実行委員会を目指します。

各団体を回り、震災フェニックスの目的や事業素案、期待する成果などをプレゼンして、理解いただき、実行委員会への参加と協力をお願いします。

実行委員会の委員長は長岡市の名士で長岡造形大学の豊口協理事長に。総合プロデューサーには知名度抜群の作曲家、三枝成彰さんにお願いします。
6月27日、第一回震災フェニックス実行委員会総会を開催して、それぞれの議案を了承をいただき、なんとかスタートラインに立つ事ができました。
早速、ホームページの開設と管理運営体制づくりを手がけ、メディアへの宣伝体制、ロゴマークの募集と選考委員会の立ち上げを進めます。

ロゴマークについては、フェニックスの目的を理解し、震災復興をイメージできるデザインであり、自作未発表作品であることなどを募集内容とします。
一般募集の結果は応募者総数207名(中越地区87名.中越地区外県内35名.県外84名.海外1名)、作品総数357点の応募があり、選考委員5名がリジェクト方式選出します。

7月23日、豊口実行委員長、三枝総合プロデューサーと共に記者会見を開いて、震災フェニックスをメディアに広く告知し、ロゴマークも発表します。
コーディネーター兼チーフディレクターの任をいただき最初に手掛けた目玉企画がテーマソングの制作です。

平成17年6月11日、平原綾香さんは小出郷文化会館ヤングポップスコンサートに出演…チケットは30分で完売!ステージで平原さんが中越大震災の被災者を思い号泣した光景が焼き付いて頭からはなれません…

震災フェニックスのテーマソングをジュピターで大ヒットした平原綾香さんから制作し、歌ってもらいたいという思案がありました。

平原綾香さんのデビュー曲「Jupiter」(ジュピター)は、新潟県中越地震の被災者を勇気付ける応援歌として、新潟県内のラジオ局で多くリクエストされ大ヒット曲になったことは言うまでもありません。
6月25日、平原綾香さんの事務所に企画書を持ってお願いに伺います。平原綾香さんと父の平原誠さん、プロデューサー、マネージャーが待ち構えています。

私から震災フェニックスのミッションとテーマソングについて説明…穏やかな空気感の中、平原綾香さん、スタッフ全員が快く受け入れてくれました。

プロデューサーから「どんな曲にしましょうか」「出来れば、震災から立ち上がる勇気や希望が湧いてくるようなイメージが欲しいです。」「わかりました。お任せください。」大きな夢が現実になったのでした。
この『新世界』の曲は、アントニン・ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章をベースに、平原さん自身が詞を付けて仕上げたものです。
平原綾香さん曰く、この曲をまず選んだのは、心にジーンと染み入るような感動を覚えるメロディ強いだったからと言う事と、最大の理由は新世界と言う言葉を用いられていたからといいます。

『Path of Independence』を発表を切っ掛けにして、今の私はどこに行きたいのか?どこへ行けば良いのか?って迷い模索していた所にこの『新世界』ってタイトルが今の私にしっくりと嵌りました。
私は夕暮れ時の下校放送(家路)のような寂しい雰囲気より、新たな夜明けをテーマにしたかったんです。

この曲自体、ドヴォルザークさん御自身がその当時は、まだ未発見であったアメリカ新大陸に渡ってから、故郷のボヘミアを想って作られた曲なんです。

その事から、From the New Worldってタイトルになっていて。けど、実際に曲を聴いていると、夜明けを感じさせるような動物たちの鳴き声や大地が目を覚ましていくような表現もちりばめられていることが分かりました。

原曲のままに合わせてFromとするよりもTo the New Worldと言うテーマとして書き上げていこうと思いました。
今回はいかにしてシンプルなメロディーに詞を当てはめていくか、自分で新たにアレンジして作ったリズムにいかにして合わせていくのか、その辺りが難しく苦労した感じです。

後に、「今回の制作で特に詞を書くときは、真実に勝るものはないんだな」って特に強く感じられました。

コーラスを重ねる時、自分の声を重ねつつドヴォルザークさんの譜面を用いてレコーディングをしました。
1ヶ所メロディが変わるパートがあって、一番聴いて貰いたいと思っている箇所です。それと複数ある私の声がシンクロする部分です。

多分、彼が最も伝えんとしたかった何らかの答えが見つかった瞬間だと思います。
作者の魂と言うか何の意図を込めていたのかが、そこに全てが凝縮されていると思います。だからこそ、聴けば聴くほどクラシックは奥深く楽しめる所が満載なんです。

平原綾香さんは大曲を選択し、ドラマチックな詞で描かれ、震災から立ち上がるテーマソングに相応しい曲になりました。

NHKホールでの平原綾香コンサートに招待されます。この日が初歌いとなった『新世界』は、NHKの歌謡番組の生中継で全国に放送され、感動し涙した瞬間は今も忘れない…
NHKホールの地下ロビーでコンサートの打ち上げにも参加します。お礼の挨拶と震災フェニックスを紹介させてもらい、記者発表にもなりました。

何社ものスポーツ新聞の誌面を飾った「新世界」は想定以上の反響を呼びます。震災フェニックス〜震災から立ち上がる文化の祭典は、上々のスタートを切ったのでした。
平成21年8月9日、震災フェニックスの復興ライブコンサートを響きの森公園で開催したステージで「Jupiter」「新世界」を熱唱…聴衆は言うまでもなく熱狂しました。

いよいよ本題の事業計画の策定が始まります…

つづく

付録

コーポA&O (桜井俊幸.A&O企画)

【桜井俊幸】 魚沼市生まれ。魚沼市小出郷文化会館を18年は5ヵ月務め名誉館長。後に(公社)全国公立文化施設協会(参与)と文化芸術による復興推進コンソーシアム(東京事務所長)。全国国民文化祭総合コーデネイターなどを歴任。 【コーポA&O】 魚沼市内に5棟や駐車場を経営している。 【あんさ&おっさ】 昭和56年、桜井俊幸、治兄弟で結成したオリジナルフォークデュオです。今年8月44年目を迎える。

0コメント

  • 1000 / 1000